当社は太平洋セメントグループの一員として太平洋セメントの経営理念に基づき、持続可能な地球の未来を拓く先導役をめざし、経済の発展のみならず、環境への配慮、社会への貢献とも調和した事業活動を行ってまいります。 近年の経済活動における循環型システムである「物流」も多様化、高度化し、蔭で支える容器・包装資材産業への要求も多岐にわたり、経営環境は厳しさが増しております。 そのなかにあって、当社は1932年の創業以来90余年にわたり、容器・包装資材の総合メーカとして培ってきた技術力と、ニーズを先取りする営業力を活かし、多様化するお客様の要求に応え、「物流」の一翼を担うことにより社会に貢献できるよう弛まなく努力していく所存でございます。 |
代表取締役 服部 誠
商号 | 株式会社ニッポー |
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本社 | 東京都新宿区新宿5-13-9 太平洋不動産新宿ビル8F ■ 地図はこちら |
設立 | 昭和7年(1932年)8月 |
資本金 | 4,280万円 (主要株主 太平洋セメント株式会社) |
代表者 | 代表取締役 服部 誠 |
事業内容 |
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事業所 | 本社 東日本事業統括部(東京営業、西多摩生産、秩父生産) 西日本事業統括部(福岡営業、福岡生産) |
従業員数 | 108名 (管理職に占める女性割合は5%) |
主要取引銀行 (順不同) |
みずほ銀行新宿支店、三井住友銀行新宿支店、百十四銀行新宿支店 |
主要得意先 (順不同) |
太平洋セメント株式会社、太平洋マテリアル株式会社、秩父コンクリート工業株式会社 株式会社デイ・シイ、奥多摩工業株式会社、太平洋パーライト株式会社……他 |
昭和 7年 (1932年) |
「東洋再製袋株式会社」として会社設立(千住、川崎2工場体制でスタート) 東洋紙袋株式会社(注)が世界恐慌の影響で原紙不足に対応するために使用済袋を回収、 再製するために設立した子会社(再製袋は全量浅野セメント社へ納入)として設立 |
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昭和16年 (1941年) |
西多摩工場(浅野セメント社西多摩工場内)操業開始 |
昭和19年 (1944年) |
浅野セメント社へ経営権移譲 |
昭和23年 (1948年) |
社名を「東洋製袋興業株式会社」に変更 |
昭和24年 (1949年) |
九州協同紙袋株式会社(福岡製袋社の前身)設立 |
昭和25年 (1950年) |
福岡製袋社の経営に参画 |
昭和30年 (1955年) |
福岡製袋社を日本セメント社(昭和22年:浅野セメント社名変更)が子会社化 |
昭和37年 (1962年) |
新袋事業開始に伴い西多摩新工場(現在地)を竣工 |
昭和60年 (1985年) |
当社を存続会社として福岡製袋社と合併、社名を「株式会社ニッポー」に変更 |
平成10年 (1998年) |
日本セメント社が秩父小野田社と合併し太平洋セメント社発足 |
平成14年 (2002年) |
セメント商事社製袋事業(秩父工場:秩父セメント社製袋工場)を買収 |
平成18年 (2006年) |
西日本の生産拠点を福岡工場に集約 |
令和4年 (2022年) |
会社創立90周年 |
(注)<東洋紙袋株式会社>
設立時の親会社であった東洋紙袋社は昭和2年(1927年)に、我が国初のクラフト紙袋製造会社として設立され、製品は浅野セメント川崎工場へ納入、国産初のベーツ式多層紙袋によるセメント出荷が開始された。
同社の全工場が戦災にあった関係で、戦後同社は再建の見込みが立たず解散する結果となり、戦時中に経営権が浅野セメント社へ移譲された子会社の当社のみが存続することとなった。